長浜について

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姉川古戦場

姉川古戦場

1570年7月30日。時は戦国、近江地方(滋賀県湖 北地方)を治める、浅井家と越前(福井県)を治める 朝倉家との連合軍対織田、徳川連合軍が激戦を繰り 広げた場所です。

織田方約15,000人、浅井方約10,000人と数では織田方 が有利でしたが、浅井軍は、すでに横山城という枝城を 攻め落とされており、「城をとりかえすんだ!」という 意気込みから、もの凄い勢いでめちゃくちゃ強かった そうです。
織田方が構えた13段の構えも11段まで崩されてしまい 9時間にも及ぶ、大激戦が繰り広げられたそうです。

姉川の戦いは、徳川家康の活躍もあり、織田軍が勝利しました。双方、被害は甚大で、織田軍は戦いに勝利は したものの、浅井氏の居城(小谷城)までは攻め入れませんでした。

3年後の1573年、織田信長は、先に朝倉家を攻め滅ぼし、後に浅井氏を滅ぼしました。
1523年から続いた50年の統治は終わりを告げました。

浅井氏について

浅井家碑石

元々浅井家は、正親町三条家の支族で、藤原と称していましたが、近江国浅井郡を治める事になり浅井姓を 名乗るようになりました。

浅井氏3代の基礎を築いたのは、浅井亮政(あさい すけまさ)という人物 です。 当時浅井家は、京極家の家来でした。しかし京極家のお家騒動に乗じて 京極家の中で一番の実力者となりました。 その後、主家と争い、南近江を支配する六角家とも争い争いは解決しない まま亡くなってしまいました。
その後、家督を継いだ浅井久政は、政治的には力があったようですが、 武力の面では
、子どもの長政におとっていたようです。 長政は15歳で六角家と戦い、大勝利を治めたほどのつわものでした。 久政は、重臣たちから強制的に隠居させらたそうです。 その後、長政は織田信長の妹「市の方」を娶り、信長と同盟を結びました。

信長と同盟を築いた浅井氏でしたが、信長と朝倉氏が争いだすと昔からよしみのある朝倉氏へ味方してしまいます。 これにより、安心して朝倉氏と戦おうとしていた信長ですが、逆に窮地に
追い込まれ、金ヶ崎の退き口を経て 信長は退却します。
この浅井氏の裏切りに対し、信長は報復すべく、出兵しました。これが姉川の戦いです。

恵まれた湖北の大地

  • ・東に七尾山
  • ・西に日本一の広さを誇る湖、琵琶湖
  • ・伊吹山からの雪解け水
  • ・草野川と姉川に挟まれた私たちの土地、野村町

私たちが農作物を生産する湖北の大地は、山、川 湖、そして太陽ととても恵まれた土地です。 好条件がそろったこの土地で農作物をつくる事ができる 事にとても感謝しております。
また、こういった土地でできた農作物は非常においしく 消費者の皆さまから喜ばれる事間違い
なし!と自負して おります。
また、農作物は生産者の心を読み取ります。暗い気持ちで 作っているとなぜか農作物にも元気
がありません。 でも、生産者が楽しく、明るく、元気に作れば、収穫 できる物も良いものがとれます。
私たちは、感謝と笑顔で農作物を生産しております!

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